共働学舎「構想」4

①《共働学舎とはなにか》

(4)真の平和社会を求めて

物質が造り出す豊かさがかえって人間を減ぼすことになるということは、人類の歴史が証明している明らかな事実です。

 そもそも文明が進む程に、何故に病気や障害が増えてゆくのか。

それが、人類全体を堕落させない為の、見えざる神の経綸であるという逆説を深く理解する時に、身代わりとなって重荷を負うこの人々を疎外するのではなく、むしろこれを尊び、その個々の中に秘められた神性を学びつつ、共に生きる社会をつくることが私達の究極の願いであり、生きる目的ではないかと考えます。政治体制がどんなに変革されても、心の中に真の価値についての革命が起らぬ限り、社会は根本的に改善されないと信じます。

 力対力、報復に次ぐ報復でどんなにバランスをとろうとしても、競争原理を拾てて、真理に基ずく新たな原理に立つ人類の生き方を実現しない限り、眞の世界の平和はあり得ません。人間がこの世に生まれ生きて行くのは、自己中心に自分さえよければそれでよいのではなく、他を愛し共に生きるためであることは間違いありません。競争の結果、物質的豊かさを喜ぶ反面、愛の乏しくなってゆく悲しさを味わうようになります。

人間一人一人は、調和ある真の平和社会をつくるために、誰もが必要な存在として造られてるいのだと信じます。私達は、競争社会よりも愛による協力社会の方が、個人としても社会としても豊かになり得る事を信じます。そして、人格と人権とが神の前にすべて平等であることを信ずる時に、はじめてそれが可能となることを、日常の生活の中にまず実証しなくてはなりません。

 人間はすべて神の作品であると信じます。神の作品には失敗作はありません。一つとして拾てられてよい不良作品は無いはずです。創り主は自らの作品を愛します。

 その一つ一つに完全者の性質が分け与えられていると信ずるならば、どうしてこれを互いに傷つけ、或いは無視することが出来るでしょうか。互いにこれを尊び喜び、その組合わせをよくする為に熱心に工夫し努力することが、よい社会(神の完全性に近づく)を造る原動力になると信じます。

共働学舎は、この願いと祈りをもって始められた、 独立自活を目指す教育社会、福祉集団、農業家族です。

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