共働学舎「構想」6

③《共働学舎は誰がつくるのか》

様々な身体的、精神的、また境遇上の理由で家庭生活、社会生活が難しい人達が多くなってきています。しかし進学、就職が出来なくても、それぞれの持ち味、特徴、能力をもって協力すれば、自分達の力で生きる場所がつくってゆけると考えているのが共働学舎です。

この考えに共鳴し、或いはこの様な生活を自ら希望する人達がメンバーとなって共働学舎をつくってゆきます。

 良心的に生きるのに学歴はいりません。良い仕事をするのに資格はいりません。人を愛するのに、知識も経験もいりません。
志を共にし、やる気のある若い人々が、共働学舎の願う新しい社会づくりに加わってくれることを、熱心に希望しています。

 年齢には特別の規定はありませんが、農業労働が多いために、これに適した年齢が希望されます。義務教育の年限内の場合は、基本的には親が責任をもつべきだと考えますが、止むを得ぬときは、共働学舎から学校に通うことが出来ます。

在舎期間の規定はありません。人間が成長するのには時間がかかるので、即成教育的効果を目的とする人達には不適当です。社会復帰と称して、落ちこぼれと言われる人を止むを得ず出してしまう今の社会に、収入を得るだけを目的に就職させることを、福祉の第一目的とは考えません。それが本質的問題解決とはならない場合があまりに多くあるからです。

 共働学舎は、個性、能力などそれぞれ異なる人々が、障害の多少にかかわらず(障害が全くない人間はいないはず)共に生きてゆける差別なき社会をつくり、逆に社会に浸透してゆこうとしています。

メンバ-一人一人の心や体がそこまで成長してゆくのにも、共存のグルーブをつくるのにも時間が必要です。共働学舎で生きることが即ち、社会人として立派に生きてゆくことになるのだということを立証したいと願うものです。勿論、就職、進学を希望し、その方が適当な場合は積極的に勧めることを躊躇するものではありません。

 共働学合は、一般社会から遊離した保護施設ではありません。大人も若者も子供も、与えられている賜物をその多少によらず、精一杯働かせて生きねばなりません。生命がある限り、どんな人にもその責任があります。弱者とされる前に自分の弱さに負けて甘えている人が多いために、先ず自分の弱点とたたかわねばなりません。

そして常に共に働き、必要なことを共に学び、全体が一つの家庭のような舎となることを最も望ましいあり方と考えています。

 メンバーの数については、宿舎を自分達で建てる関係上、制限がありますが、一ケ所に2〜30名が適当と考えています。心の連なりが薄くならないためです。

成長してグルーブが組めるようになれば、蜂の分封のように新たな場所に生きる舞台をつくることは可能だと思っています。志さえあれば、現在の日本の中には、我々が生きる場所はまだまだ沢山あることは確かです。

 学舎の集団は家庭をもつ者が中心となり、一つの家族の様な生活をすることが願わしいと考えています。当然それぞれの弱点を補い合わなくては、この集団は支えられません。

そして、必ずしも農業労働が主体とならなくても、その集団の特色がよく出される生産活動であればよいとも考えます。その上にもう一つ願わしいことは、子供を学舎で生活させるだけではなく、親達も何らかの形でこの集団生活に加わり、やがては共に責任をもって生活できる体制をつくってゆくことです。

 共働学舎には職階制による組織はありません。したがって指導員、保育士、栄養士、調理師、事務職、という肩書をもって働く人はいません。また、農業、建築、工芸にも、これまでは専門家はおりません。必要に応じ、メンバーの個性と能力に応じてみんなで責任を分かち合い、間題にぶつかっては学んでゆきます。それと同時に、専門家を先生として勉強するために沢山の方の協力も頂いています。

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